二十三夜尊堂(旧延方郷校)概要: 二十三夜尊堂は江戸時代後期の文化年間(1804〜1817年)に延方郷校の聖堂として建てられた建物です。延方郷校は井村松亭が沢田平格を招いて創設した私塾でしたが次第に多くの学問を教えるようになり水戸藩(藩庁:水戸城)の郷校として整備されました。文化4年(1807)には当時の藩主徳川斉昭が自ら篆書した「至聖先師孔子神位」を掲げ人物の育成に力を注ぎました。その後、明治5年(1872)に廃校となり明治11年(1878)に現在地に移され二十三夜尊堂として改修されました。
二十三夜尊堂の建物は、入母屋、銅板葺、桁行3間、梁間2間、平入、寺院建築でありながら随所に当時の郷校建築の要素が見られる独特な建物で、明治初期の御堂建築の遺構として貴重な事から昭和49年(1974)に茨城県指定有形文化財に指定されました。
月読神社としての創建は貞享2年(1685)、月読命の分霊を勧請したのが始まりとされ、古くから神仏習合し月読命の本地である勢至菩薩が同時に信仰されました。勢至菩薩は二十三夜講の本尊でもあり、周辺住民の講中の拠点として信仰され、特に月読命は女神で勢至菩薩は女性的な印象が強い事から安産、子育て、子授かりに御利益があるとして女性から支持されました。
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