龍禅寺三仏堂(取手市)概要: 米井山龍禅寺は茨城県取手市米ノ井に境内を構えている天台宗の寺院です。龍禅寺の創建は不詳ですが延長2年(924)に開かれたのが始まりと伝えられています。山号である米井山は承平7年(937)に平将門が武運長久の祈願を龍禅寺で行った際、三仏堂の前の井戸から米が湧き出てた事に由来し、吉兆と悟った将門は龍禅寺の堂宇を建て直したと云われています。又、伝承によると将門の母親が龍禅寺に子宝祈願を行い何度も参拝を繰り返すと、龍禅寺の守護神と思われる紅龍が突然出現し、腰を抜かした母親がその場で将門を産んだとも、元々紅龍の子供が将門で三仏堂で前で舐めていたとも云われています。
これらの伝承、伝説が真実かは不詳ですが将門が生まれる以前から龍禅寺が存在したとすれば由来よりかなり前から創建されていたのかも知れません。何れにしても将門とは強い繋がりのあった寺院で将門の愛妾、桔梗御前は将門の武運長久を祈願する為三仏堂に向っている途中で兄とされる藤原秀郷又は将門に殺害されその場で葬られたとされ、その場所には桔梗塚と呼ばれる塚が築かれたとも云われています。
その後、建久3年(1192)には源頼朝の命で千葉常胤が中興し江戸時代に入ると幕府から庇護され慶安2年(1649)には、三代将軍徳川家光から寺領19石の朱印状を賜っています。三仏堂の名前の由来は釈迦如来座像、阿弥陀如来座像、弥勒菩薩座像の3尊像が祭られていることが理由となっています。
現在の三仏堂は永禄12年(1569)に建てられたもので桁行3間(6.395m)、梁間4間(7.309m)、寄棟、茅葺、平入、正面に一間の外陣が張りだされ、他の3方にもこしを付けた独特な平面構成をし、華美な彫刻や極彩色などは用いず質実剛健的な重厚な印象を受けます。龍禅寺三仏堂は建築年が明確で中世における当地方の御堂建築の特徴を伝える遺構として大変貴重な事から昭和51年(1976)に国指定重要文化財に指定されています。
三仏堂:新四国相馬霊場八十八カ所第47番札所(移し元寺:八坂寺・御詠歌:花を見て 歌詠む人は 八坂寺 三仏じょうの えんとこそきけ)。龍禅寺:新四国相馬霊場八十八カ所第79番札所(札所本尊:阿弥陀如来・御詠歌:十楽の 浮世の中を たずぬべし 天皇さえも さすらいぞある)。山号:米井山。宗派:天台宗。本尊:阿弥陀如来。
取手市:神社・仏閣・再生リスト
|