長禅寺(さざえ堂)概要: 大鹿山長禅寺は茨城県取手市取手2丁目に境内を構えている臨済宗妙心寺派の寺院です。長禅寺の創建は承平元年(931)平将門が勅願所として開基したのが始まりと伝えられています。
将門死後、長禅寺は一時衰退しましたが、御厨三郎吉秀とその後裔が本尊を守り抜き承久元年(1219)に義門和尚が再興、文暦元年(1234)には将門の守本尊である十一面観音像を安置する四間四面御堂を織部時平が建立したそうです。
長禅寺は当初旧大鹿村にありましたが江戸時代に入り水戸街道が開削し取手宿が整備されると現在地に移され慶安2年(1649)には三代将軍徳川家光より社領5石3斗の朱印状を賜り歴代将軍も追認しています。宝暦8年(1758)観覚光音禅師が西国三十三ヶ所、坂東三十三ヶ所、秩父三十四ヶ所、計101体の観音像を鋳造し安置したことで広く信仰されることになり長禅寺の寺運も隆盛します。
江戸時代後期の文化年間(1804〜1818年)には小林一茶は友人である古田月船に会う為に度々取手相馬地域を訪れていて"下総の 四国廻や 閑古鳥"の句を残し長禅寺の境内には小林一茶句碑が建立されています。
現在の長禅寺三世堂は宝暦13年(1763)に当時の住職幻堂和尚によって建てられたもので、木造1重3階建、宝形造、銅板葺、桁行5間、梁間5間、正面1間向拝、最上階には丸窓、高欄が廻り、1階は花頭窓、外壁は真壁造り、白漆喰仕上げ、内部は上記の101体の観音像を参拝しながら上層階へ昇り、交差しないで下層階へ降りる事が出来る"さざえ堂"形式になっています。
長禅寺三世堂はさざえ堂建築としては日本最古で御堂建築の遺構として貴重な事から平成16年(2004)に茨城県指定有形文化財に指定されています。山門は入母屋、銅板葺、一間一戸、四脚鐘楼門。
新四国相馬霊場八十八ヶ所第1番札所(竺和山霊山寺・札所本尊:釈迦如来・御詠歌:霊山の釈迦の御前にめぐりきて よろずの罪も消え失せにけり)。新四国相馬霊場八十八ヶ所第5番札所(無尽山地蔵寺・札所本尊:地蔵菩薩・御詠歌:六道の能化の地蔵大菩薩 みちびき給えこの世のちの世)。新四国相馬霊場八十八ヶ所第88番札所(医王山大窪寺・札所本尊:薬師如来・御詠歌:南無薬師諸病なかれと願いつつ 詣れる人は大窪の寺)。取手八景。茨城百景。山号:大鹿山。宗派:臨済宗妙心寺派。本尊:延命地蔵尊。
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【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-長禅寺・取手市教育委員会
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