国王神社

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概要・歴史・観光・見所
国王神社(坂東市)概要: 国王神社は茨城県坂東市岩井に鎮座している神社です。国王神社社殿全景、右斜め前方国王神社の創建は天禄3年(972)、平将門の33回忌の際、如蔵尼(将門の3女)が逃げ隠れていた恵日寺(福島県磐梯町)から当地に移り住み霊木から将門の木像を一刀三拝して彫り込み小祠に安置したのが始まりと伝えられています。国王神社の祭神である平将門は桓武天皇5世後裔で、父親である平良将が死去すると、その遺領は本来子供である将門が継ぐべきはずでしたが、伯父であるはずの平国香や平良兼が横領し僅かな領地しか与えられなかった為、一族に不信感が芽生えました。延長9年(963)頃には、とある女性を巡り不信が怒りと変わり承平5年(935)には国香を攻め滅ぼし、その後も一族との抗争を繰り広げました。すると、将門の武力を頼る様々な武将を受け入れるようになり、結果的にそれらの武将に肩入れした事で朝廷へ意に背く事になり、初めは常陸国(茨城県)、続いて下野国(栃木県)、上野国(群馬県)の国府を攻め、武蔵国(東京都・埼玉県)、相模国(神奈川県)などの国々は国司が逃げ出した事で関東一円を将門が支配し「新皇」を称するまでになりました。天慶3年(940)、朝廷は将門を反乱軍として追討する事を決定し、藤原忠文を征東大将軍に任命、将門討伐を命じ1月19日に京都から出立しました。東国では平貞盛と藤原秀郷、藤原為憲の連合軍が結成され2月13・14日に合戦を及びました。当初は将門軍が優勢でしたが、風向きが変わった事で形成が逆転し、流れ矢が額に突き刺ささり将門は討死し、打ち首は京都に運ばれ梟首とされたそうです。

国王神社を創建した人物とされる如蔵尼は将門の3女又は将門の弟である将頼の娘とされる人物で、元々は滝姫と称し将門が敗れた報を聞くと身の危険を感じ常陸国を離れ生前将門が庇護していた恵日寺(福島県磐梯町)に身を寄せ、出家した後は如蔵尼と名前を変えました。その後、如蔵尼は地蔵信仰に傾倒し地蔵尼君と呼ばれれようになったとも云われています。天禄3年(972)、如蔵尼の霊夢に御神託があり、父親の33回忌の追討供養を行うべく急いで郷里である石井に戻ってみると不思議な光を放つ霊木を見つけました。里の人に話を聞くと、父親が討たれた場所と聞かされた為、神意を感じ取りその霊木から一刀三礼で父親の尊像を彫刻し国王神社の前身である草庵を設けて供養したそうです。当地は天慶3年(940)、平貞盛、藤原秀郷の連合軍と北山で戦った平将門が流れ矢に当たり戦死した「終焉の地」とも云われ、近くに境内を構える延命寺が国王神社の別当だった寺院で如蔵尼が死没すると遺体が葬られたと云われています。

如蔵尼の伝説は国王神社だけでなく、80余歳で念仏を唱えながら恵日寺に没したという伝説や、滝夜叉姫として現在の秋田県仙北市田沢湖町に家臣達と共に移り住みその地で没した、又は家臣を集めて争乱を起こしたなどの伝説が北日本や東日本に複数ある為、真偽の程は判りませんが旧岩井市周辺には平将門縁の史跡が複数あり、将門と関係深かった住民達が密かに御霊を祭った、又は御霊を鎮めようとしたのが信仰の初源なのかも知れません。又、如蔵尼が彫刻したと伝わる平将門木像も学術的には室町時代作と推定される為、年代的にも大きな開きがあり後年に付加的要素として付け加えられた可能性もあります。

江戸時代に入ると国王神社は幕府から庇護を受け慶安元年(1648)には3代将軍徳川家光から社領10石が安堵されています。万治2年(1659)に火災が発生し社殿が焼失、延宝3年(1675)に拝殿、天和3年(1683)に本殿が再建されています(由緒上はこれ以降の拝殿の造営はありませんが棟札と、建築的要素から文化14年:1817年に再建、又は建替えに近い大規模な改修が行われたと思われます)。享保年間(1716〜1736年)には水戸藩2代藩主徳川光圀の思想(水戸学)から発展した神仏分離政策により別当寺院だった延命寺(島の薬師)とは分離する事になり神職が飯塚氏に譲られています。水戸藩の神仏分離政策は厳しく、最終的には半分の社寺が廃社、廃寺に追い込まれまいたが、平将門と強い繋がりがあった事が評価されたのか国王神社、延命寺共に存続が許されています。

古くから神仏習合し「将門大明神」や「国王大明神」などと呼ばれてきましたが明治時代初頭の神仏分離令を経て社号を「国王神社」に改め村社に列しています。この際、祭神が大己貴命に変更になったとされ、時期は不明ですが戦後に再び平将門の御霊が祭られるようになったようです。神仏分離令により祭神が変更になった事例は全国的にも多数あり、仏教色が強い祭神や、地元神、朝敵、犯罪者などは天皇縁の神々に差し替えられ、国王神社の場合も、過剰な忖度が働いたと思われます。一方、大己貴命は現在国王神社では祭られおらず何処かに消え去ってしまったようです。

国王神社の社殿は本殿、拝殿、弊殿が一体となっている所謂、権現造りです。本殿は天和3年(1683)に建てられたもので、一間社流造、茅葺、外壁は真壁造板張り、江戸時代前期の神社本殿建築の遺構として貴重な事から昭和41年(1966)に茨城県指定重要文化財に指定されています。拝殿は文化14年(1817)に建てられた建物で、木造平屋建て、入母屋、茅葺、桁行4間、梁間2間、平入、外壁は真壁造り板張り、江戸時代後期の社殿建築の遺構として貴重な事から昭和52年(1977)に茨城県指定重要文化財に指定されています(社伝によると本殿と同時期のく延宝3年:1675年に造営)。幣殿は文化14年(1817)に建てられたもので、茅葺屋根、桁行3間、梁間2間、両下造り、外壁は真壁造り板張り、国王神社の社殿を構成する要素として貴重な事から昭和52年(1977)に坂東市指定有形文化財に指定されています。祭神:平将門。

国王神社の文化財
・ 本殿-天和3年(1683)-一間社流造,茅葺-茨城県指定重要文化財
・ 拝殿-文化14年(1817)-入母屋,茅葺-茨城県指定重要文化財
・ 幣殿-文化14年(1817)-茅葺-坂東市指定有形文化財
・ 平将門の木像-不詳-寄木造,衣冠束帯姿,像高76p-茨城県指定重要文化財
・ あらかし-坂東市指定天然記念物

国王神社(本殿・拝殿):写真

国王神社の木製鳥居
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国王神社の雰囲気のある参道 国王神社の参道から見た歴史が感じられる拝殿 国王神社拝殿と苔生した石造狛犬 国王神社気品のある本殿と茅葺屋根の渋い幣殿


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