妙安寺(坂東市)概要: 一谷山最頂院妙安寺は茨城県坂東市みむらに境内を構えている真宗大谷派の寺院です。妙安寺の創建は推古天皇の時代(592〜628年)に聖徳太子が三輪宗の寺院として建てられたのが始まりと伝えられています。
当初は最頂院葛城寺と称していましたが天台宗に改宗した後に一時衰退し、鎌倉時代の天福元年(1233)に成然坊が佐竹義兼の援助を受け再興し寺号を一谷山妙安寺と改めました。成然坊は九条関白兼実の第10子、近衛中将幸実や藤原氏従三位九條中村幸実と呼ばれていた人物で、承元4年(1210)に政争に破れ下総国猿嶋郡一の谷(現在の茨城県猿島郡境町一ノ谷)に流されると稲田にいた親鸞聖人に帰依し直弟子となり法名を成然房と賜っています。
現在でも妙安寺には多くの寺宝を所有しており、特に室町時代初期に制作された"絹本著色聖徳太子絵伝"(堅掛幅4幅:縦150.4cm、横32.8cm)は昭和48年(1968)に国指定重要文化財に指定されています。
室町時代に制作された"聖徳太子木像"(太子16歳の孝養の像、カヤ材、玉眼、二材付け、像高:98.7cm、火防の太子の異名)は昭和30年(1955)に茨城県指定重要文化財にそれぞれ指定されています(その他の寺宝:阿弥陀尿来立像・親鸞聖人御木像・開基成然房座像・十一面観世音菩薩像・聖徳太子六随尊臣連座画像・親鸞聖人六十歳画像など)。
二十四輩第6番寺(成然坊が開いた群馬県前橋市千代田町の妙安寺と茨城県猿島郡境町一ノ谷の妙安寺も二十四輩第6番寺となっています)、御里御坊。山号:一谷山。院号:最頂院。宗派:真宗大谷派。本尊:阿弥陀如来(伝:安阿弥作)。
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