坂東市: 沓掛香取神社

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概要・歴史・観光・見所
沓掛香取神社(坂東市)概要: 沓掛香取神社は茨城県坂東市沓掛に鎮座している神社です。沓掛香取神社の創建は不詳ですが美計奴都加佐命が祖神である経津主命を祀る為社殿を建立したのが始まりと伝えられています。関係性は判りませんが、鎮座地から西北西約100m先には古墳時代後期(6世紀)に築造されたと推定される神明塚古墳(前方後円墳:全長約45m、高さ約2m)がある事から比較的早くに開けた地域で、下総国(千葉県の一部)からの移住者が産土神として信仰されたのかも知れません(本社である香取神宮は少なくとも8世紀初頭には存在が明らかとなっています)。

大同2年(809)に弘法大師空海(真言宗の開祖)がこの地を訪れ十一面観音を勧請、翌弘仁元年(810)に沓掛香取神社の別当である金乗院を開山しています(天保7年:1836年に境内から空海作断碑が発見され由緒とされています)。弘法大師空海が当地を訪れた可能性は極めて低く、真言宗の寺院が開祖である空海に由緒を求める例が全国的に見られる事から当社も同様と思われます。

以来、歴代領主に崇敬され天慶2年(940)には平将門が社殿を造営し、正長元年(1428)には結城氏朝が社殿の修築を行い刀剣を奉納しています。旧岩井市は国王神社など平将門の縁の史跡が集中している地域で、同じ沓掛には平将門の妻子が惨殺された場所に設けられたと伝わる深井地蔵尊があり、当社の由緒に組み込み安い環境にあります。そういう意味では結城氏朝が庇護した以降から信憑性があるのかも知れません。

江戸時代に入ると代官である栗六右衛門が社領9石1斗3升2合を安堵、享保9年(1724)には将軍吉宗の命によって行われた飯沼新田開発では起誓文を捧げられ完成時には現在の本殿が奉納されています。寛政10年(1798)には疫病退散の大祈願祭が行われ大般若経六百巻が奉納されています。古くから神仏習合してきましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が排され、別当寺院だった金乗院も廃寺、神社として独立し明治6年(1873)に村社に列しました。

現在の沓掛香取神社本殿は江戸時代中期に建てられた建物で一間社流造り、檜皮葺、規模は小さいものの、全体に精巧な彫刻が散りばめられ華麗な極彩色で彩られれる豪華なもので、嘉永5年(1852)には蓋屋が建てられたことで保存状態が非常によく昭和52年(1977)に茨城県指定重要文化財に指定されています。拝殿は昭和28年(1953)に造営されたもので、木造平屋建て、入母屋、正面千鳥破風、銅板葺き、平入、桁行6間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造板張り。又、沓掛香取神社に奉納された絵馬が貴重な事から昭和53年(1978)に坂東市(旧岩井市)指定文化財(歴史資料)に指定されています。祭神:経津主大神、軻遇突智大神(天保年間:1831〜1845年に合祀)。

沓掛香取神社:写真

沓掛香取神社の石鳥居と石灯篭と石造社号標
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沓掛香取神社の木製鳥居とケヤキ 沓掛香取神社の境内で行われている菊まつり 沓掛香取神社拝殿正面 沓掛香取神社本殿覆い屋、左斜め前方


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