結城城

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結城城:略データ
・場 所・茨城県結城市結城
・築城年・寿永2年
・築城者・結城朝光
・城 主・結城氏・水野氏
・構 造・ 平山城
・文化財・結城市指定史跡
・指定日・昭和39年9月1日
・概 要・結城城は寿永2年に結城朝光が築いたのが始まりとされます。

結城朝光は藤原秀郷の後裔の小山政光の三男として生まれ、生母の寒河尼は源頼朝の乳母だった事から、幼少の頃から頼朝に従い、治承4年の元服の際には頼朝が烏帽子親となっています。

寿永2年に志田義広と足利忠綱が鎌倉に進軍した際、頼朝は鶴岡八幡宮で戦勝祈願を行うと朝光が神憑りとなり勝利を神託した事から、鎌倉軍は大いに士気が挙がったとされます。

朝光はそのまま従軍し野木宮で志田義広、足利忠綱連合軍を撃破した事から論功行賞で結城郡の地頭職に任命され居城として結城城が築かれました。

その後は源範頼、源義経軍に従軍し木曽義仲追討や、引け追討で功績を挙げ、奥州合戦や大河兼任の乱、承久の乱でも大きな役割を担い、有力御家人の地位を確立しています。

しかし、鎌倉時代後期に幼少の当主が相次いだ事等から次第に幕府の要職を担う事が少なくなっています。

鎌倉時代末期の当主である結城朝祐は足利尊氏に従い、鎌倉幕府の京都の出先機関である六波羅探題侵攻に従軍し功績を挙げた事から、建武の新政下で本領が安堵されています。

ただし、庶流である結城宗広の方が功績が高かった事から結城家の惣領家が宗広に定められ、さらに飛地だった陸奥国糠部郡七戸郷が取り上げられ南部政長に与えられた事から、南北朝時代には北朝方に転じています。

その為、南朝方の白河結城氏や関氏と一族間で相争い、その最中で朝祐や跡を継いだ結城直朝も討死しています。

その後、結城家の惣領家に復権し、結城基光が本家筋の小山家に代わって下野国守護を務める等、有力守護大名として大きな権限があり「関東八屋形」にも数えられています。

しかし、鎌倉公方足利氏と関係が深かった事から、永享の乱で幕府に反発した4代鎌倉公方足利持氏の遺児達を匿った為、永享12年に幕府との対立を招き結城合戦が勃発しています。

当時の城主結城氏朝、持朝父子は遺児である春王丸、安王丸を擁立し、結城城に立て籠もると、1年以上幕府の大軍と攻防戦を繰り広げましたが嘉吉元年に結城城は落城し氏朝、持朝は討死、長尾実景によって暗殺されています。

結城氏は一時没落しましたが、文安4年に再興を許され、佐竹家に匿われていた結城氏朝の四男である結城成朝が結城家の名跡を継ぎ、結城城の城主に復権しています。

戦国時代に入ると結城政朝の活躍により周辺の多賀谷氏や山川氏を破り、戦国大名として確立し版図を広げ、跡を継いだ政勝は「結城氏新法度」を制定し領内整備に尽力しています。

天正18年に発生した小田原の役で豊臣方に参陣を果たした為、本領と改易された小山氏領の一部が加増され近世大名に認められています。

一方、徳川家康の関東移封に伴い、家康の次男で豊臣秀吉の養子である秀康を婿養子に迎えた事から、慶長5年に発生した関ヶ原合戦後には68万石の大幅な加増を受け越前国に移封となり当地を離れています。

結城城は廃城となり破却されましたが、元禄13年に水野勝長が当地に入封し結城藩を立藩すると、藩庁、藩主居館として結城城が再築城されています。

戊辰戦争の際には10代藩主である水野勝知は日光例祭奉行や学問所奉行等の要職を歴任し、幕府を補佐する佐幕派だった事から、慶應4年には彰義隊を任されています。

一方、家臣内には時流を読んで、新政府に恭順した方が藩の相続が有利と主張する一派があり、8代藩主水野勝進の子供である水野勝寛を擁立し、結城城を占拠しています。

勝知は彰義隊の協力を得て結城城を奪い返し佐幕派が勝利したものの新政府軍に侵攻され落城、勝知は二本松藩に落ち延びています。

結城城は鬼怒川によって形成された河岸段丘に築かれ、田川とその支流、さらに深田、沼等が天然の外堀に見立ていました。

内部は実城、館、中城、西館、東館の5つの大きな曲輪と複数の小さな曲輪で構成され、内堀(空堀)と土塁によって区切られていました。

現在は実城周辺が城址公園として整備され土塁と空堀の一部が残されています。結城城の城跡は貴重な事から結城市指定史跡に指定されています。

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