土浦市: 大聖寺

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概要・歴史・観光・見所
大聖寺(土浦市)概要: 羽黒山今泉院大聖寺は茨城県土浦市永国に境内を構えている真言宗豊山派の寺院です。大聖寺の創建は平安時代中期の一条天皇(第66代天皇・在位:寛和2年:986年〜寛弘8年:1011年)の御代の長徳元年(995)、成尊僧都(醍醐寺)により開山したのが始まりと伝えられています。当初は今泉寺と称し現在の亀井墓地近辺にありましたが応安7年(1374)領主である小田城主小田孝朝(小田氏の第9代当主)によって居城の4方向の出城として機能させる小田城四方護寺(普門寺・大聖寺・法泉寺・南円寺)が制定され今泉寺もその1つとなった為、西平塚(現在のつくば市西平塚)に移されました。小田氏は南北朝時代に当地方の南朝方の有力武将として重きを成し、争乱が治まると鎌倉府から関東八屋形に指定されました。関東八屋形は、応永6年(1399)に鎌倉公方足利満兼が就任の際に当時の関東管領上杉朝宗が定めたとされ、宇都宮氏、小田氏、小山氏、佐竹氏、千葉氏、長沼氏、那須氏、結城氏の八家が鎌倉公方を支える一族として戦国時代にこの制度が崩壊するまで続きました。

その後、今泉寺大聖院として現在地に移された事が大永6年(1526)に確認されており、天正4年(1576)の間に羽黒山今泉院大聖寺に寺号を改めています。中世は歴代小田氏が庇護した為、寺領7千貫、僧兵300名を擁するなど寺運は隆盛しますが、同じ常陸国の大名である佐竹氏の台頭は小田氏にとって脅威であり天正元年(1573)の手這坂の戦いに敗れると小田城も落城し、天正11年(1583)には佐竹氏に形式上は降伏しています。天正18年(1590)の小田原合戦では逸早く豊臣家に対して臣従した佐竹氏とは対象的に小田氏は混乱に乗じて旧領奪還を試みた為、参陣を怠り、結局旧領復帰は叶わず改易となり小田城も廃城、小田氏の没落により庇護者を失い大聖寺も衰微します。

江戸時代に入ると大聖寺は土浦藩から篤い庇護を受け、貞享2年(1685)に火災があった後には土浦城主松平信興が山門を寄進し、土屋政直以降の歴代藩主が寺領を安堵しています。その後も檀林所格の本寺として隆盛し末寺160余ヵ寺を抱える大寺として栄え延享2年(1745)には伝法灌頂道場を開設しています。

又、元禄8年(1695)、5代将軍徳川綱吉が50歳になった際、健康長寿の祈願の為、大日如来像(旧本尊・現奥本尊)が三嶋惣検校安一によって大聖寺に奉納されています。三嶋安一は伊豆出身の盲目の鍼医で、杉山流鍼術を習得すると貞享2年(1685)には綱吉の病気を鍼術で治療、関東総検校にも任ぜられ全国45箇所に鍼術が行える講堂を開設しています。土浦の伝承では宍塚村出身で旗本三嶋家の養子になったとされ、同村にある般若寺の釈迦堂は安一が寄進したものと伝えられています。

江戸時代末期の文久3年(1863)に山門(茅葺屋根・土浦市指定文化財)や総門(茅葺屋根・土浦市指定文化財)など一部を除いて大聖寺の多くの堂宇は火災により焼失、昭和60年(1985)にようやく本堂が再建されています。山号:羽黒山。宗派:真言宗豊山派。本尊:大聖不動明王。北関東三十六不動尊霊場第三十一番札所(御詠歌:ありがたや 羽黒不動を拝むれば 背負いし罪も 消え失せにけり)。

小田城四方護寺
・ 慈眼山三光院普門寺:つくば市神郡-豊山派・寺領10200貫・僧兵:500人
・ 羽黒山今泉院大聖寺:旧つくば市西平塚-豊山派・寺領7000貫・僧兵:300人
・ 聖天山無量寿院法泉寺:土浦市大岩田-豊山派・寺領8000貫・僧兵:200人
・ 五智山南円寺:かすみがうら市加茂-豊山派・寺領5000貫・僧兵:300人

大聖寺の文化財
・ 大聖寺四脚門-江戸初期-切妻,茅葺,一間一戸-土浦市指定有形文化財
・ 大聖寺山門(薬医門)-貞享2年-切妻,茅葺,三間一戸-土浦市指定有形文化財
・ 大聖不動明王-室町時代-法量44p,幅30.5p-土浦市指定有形文化財
・ 石佛大日如来-寛文13年-安山岩製-土浦市指定有形文化財
・ 絹本両界曼荼羅-鎌倉末期-金剛界:1464・胎蔵界:414体-土浦市指定文化財
・ 掛軸・篭天神名号-天正3年-縦150p,横32p-土浦市指定有形文化財
・ 古文書・小田孝朝下文-応安7年-古文書土浦市最古-土浦市指定有形文化財

大聖寺:写真

大聖寺境内正面に設けらえた山門
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大聖寺山門から見た静寂な参道 大聖寺参道と両側の植栽 大聖寺聖域の結界である四脚門 大聖寺庭園と心字池と弁財天
大聖寺境内にある土浦市指定名木の笠松 大聖寺石段から見上げた本堂正面 大聖寺の境内にある仁阿殿 大聖寺の境内にある護摩堂


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