土浦市: 寺子屋跡

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概要・歴史・観光・見所
寺子屋跡(土浦市)概要: この寺小屋は沼尻墨僊が江戸時代後期の享和3年(1803)に琴平神社境内(土浦中城町・現在の土浦市中央一丁目)に開いたもので当初は「寺習斎」と称しました。墨僊の人柄に引かれ多くの門人が集まり茨城県南部では最大規模の寺子屋になったとされ名称も「天章堂」と改めています。墨僊が没後も息子墨潭(就道)が引き継ぎましたが明治4年(1871)の廃藩置県により土浦藩(藩庁:土浦城)が廃藩になるとと共に廃されました。沼尻墨僊は安永4年(1775)、土浦の旧家中村家に生まれ町医者を営んでいた沼尻家の養子となりました。幼少の頃から独学で勉学に勤しんでいたとされます。その後は太田留蔵・広瀬克斎に師事し寛政12年(1800)には世界各国の地理の学問書である「地球万国図説」を編纂、さらに多くの世界地図を模写し、それを元に傘式地球儀を作製し寺子屋の授業でも取り入れています。傘式地球儀は従来の地球儀と比べて安価で比較的大量生産出来た為、墨僊の関係者や子弟、大名などの諸侯にも配布販売され特に水戸藩主徳川斉昭はその出来に絶賛したと云われています。又、墨僊は多才だった事でも知られ専門である地理学の他、天文学(天文機器:渾天儀を製作し天体観測)や建築土木(堀抜き井戸の開発)、発電機(エレキテル)の開発、漢詩・書道・絵画に精通するなど実績を上げ土浦藩からも2度も褒章され天保15年(1844)には帯刀も許されています。安政3年(1856)に享年82歳で死去し花蔵院に葬られています。戒名:静寿庵黙翁墨僊居士。

寺子屋跡:写真

寺子屋跡
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