谷田部藩

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谷田部藩・歴史・観光・見所
谷田部藩概要: 慶長15年(1610)、細川幽斎の次男細川興元が1万石で茂木(栃木県茂木町)に入封し茂木藩を立藩。元和2年(1616)に谷田部周辺に6千2百石加増され谷田部陣屋を築き居城とした事で谷田部藩が立藩します。幕府から直接加増されている為細川宗家の熊本藩の支藩ではなく独立していましたが財政が慢性的に逼迫していた為、借金など多方面で依存していました。江戸時代中期には人口が半分に減り耕地面積の4割は荒地になったとされ、大きな一揆が度々起こります。8代興建は中村勧農衛を中心とする藩政改革を実行し二宮尊徳の報徳仕法を押し進めました。改革は一応の成果を得て人口の下げ止まりや借金の放棄などから財政は一時安定しまが幕末になると再び凶作が重なり一揆が頻発しています。明治元年(1864)、戊辰戦争の際は新政府側に組し会津若松城(福島県会津若松市)攻略戦に参加、領土を安堵され明治4年(1871)には再び茂木に陣屋を移し茂木藩を立藩しています。
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谷田部藩歴代藩主
 藩主名藩主年間石高備考
初代細川興元1616〜16191.62万石 
2代細川興昌1619〜16431.62万石 
3代細川興隆1643〜16891.62万石 
4代細川興栄1689〜17281.62万石 
5代細川興虎1728〜17371.62万石 
6代細川興晴1738〜17881.62万石 
7代細川興徳1788〜18371.62万石 
8代細川興建1837〜18521.62万石 
9代細川興貫1852〜18701.62万石 


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