常総市: 弘経寺

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概要・歴史・観光・見所

弘経寺(常総市)概要: 寿亀山天樹院弘経寺は茨城県常総市豊岡町に境内を構えている浄土宗の寺院です。弘経寺境内に生える杉の大木弘経寺の創建は応永21年(1414)、嘆誉了肇上人(増上寺開山聖聡上人)が巡錫で当地を訪れた際、領主である羽生家(横曽根城主)の懇願により開山したのが始まりと伝えられています。室町時代には寺運も隆盛し関東地方の浄土宗寺院の中心的な存在となり大きな影響力がありましたが天正3年(1575)、小田原北条氏と下妻城多賀谷氏との抗争の中で兵火にあい多くの堂宇が焼失し9世存把上人は寺宝を携え結城に落ち延び弘経寺は一時荒廃しました。

江戸時代に入ると徳川家康、秀忠、家光から帰依された了学上人が再興、特に2代将軍秀忠の娘で豊臣秀頼の正妻だった千姫が篤く帰依し弘経寺を自らの菩提寺と定めた事から幕府から甚大な寄進が行われました。寛文6年(1666)、千姫が死去すると千姫の戒名「天樹院法源松山禪定尼」から院号が改められ、江戸城北の丸にあった千姫の御殿が解体されその用材を弘経寺再建に利用されました。

その後も幕府からの庇護が続き、江戸時代の浄土宗僧侶の養成機関である「関東十八檀林(増上寺・伝通院・霊巌寺・霊山寺・幡随院・蓮馨寺・勝願寺・大善寺・浄国寺・光明寺・弘経寺・東漸寺・大巌寺・弘経寺・大光院・善導寺・常福寺・大念寺)」に定められると寺運がさらに隆盛し多くの名僧も輩出しています。

現在の弘経寺本堂は寛永10年(1633)に千姫が寄進したもので幕府の庇護もあり当時の古河藩主で老中職も務めた土井利勝が普請奉行を務めて建てられました。入母屋、銅板葺、妻入、桁行8間、梁間10間、正面軒唐破風3間向拝付、外壁は真壁造、白漆喰仕上、内陣は金箔と極彩色で彩られた豪勢な造りで幕府の威光が感じられ、昭和59年(1984)に常総市指定文化財に指定されています(現在は改築され指定解除になっているようです)。弘経寺は明治39年(1906)の火災で大方丈や庫裏など多くの堂宇、寺宝、記録など焼失しましたが今尚多くの文化財を所有しています。山号:寿亀山。院号:天樹院。宗派:浄土宗。本尊:阿弥陀如来(脇侍:観音菩薩・勢至菩薩)。

【 弘経寺:菩提者(千姫) 】-千姫は2代将軍徳川秀忠の長女として生まれ、豊臣秀吉の遺言により7歳となった慶長8年(1603)に11歳の豊臣秀頼と結婚しました。二人の仲は良好だったようですが、豊臣家と徳川家の関係は次第に悪化し慶長19年(1614)には大坂冬の陣が勃発します。この戦いでは徳川軍が大坂城を攻めあぐねましたが、大筒が天守閣に被弾すると城中の足並みが崩れ豊臣家の不利な条件で和睦し、慶長20年(1615)の大坂夏の陣では裸同然の大坂城に徳川方が攻め掛かりあえなく落城します。

千姫は秀頼と淀君と共に蔵の1つに身を潜めていましたが女中の機転により千姫を脱出させ豊臣方の堀内氏久が徳川方の坂崎直盛の陣所に送り届け、さらに直盛が秀忠の陣まで送り届けました。秀頼には側室の間に2人の子供がいたとされ男子である国松は捕らえられ六条河原で斬首、女子である天秀尼は千姫の養女として仏門を入る事で助命されています。

元和2年(1616)、本多忠刻(桑名藩主・本多忠政の嫡男、本多忠勝の孫)と再婚の際、千姫を助けた一人坂崎直盛が千姫強奪を画策、その計画は事前に幕府の知る事となり直盛は自害、坂崎家も改易になっています。一説には千姫を助け出した者に千姫を与えるとの御達しがあったとされ、それを真に受けた直盛が再婚の件を聞いて逆上したとも云われています。

千姫と忠刻の間には一男一女をもうけましたが元和7年(1621)に嫡男である幸千代、寛永3年(1626)には忠刻、同年に生母である江(織田信長の姪)が次々と死去し、娘である勝姫と共に江戸に戻り出家して天樹院を名乗ります。

後年は江戸城北の丸の竹橋に屋敷を設けて暮したとされます。寛文6年(1666)死去、享年70歳、戒名「天樹院殿栄譽源法松山禅定尼」。千姫は生前、了学上人を篤く帰依していた為、上人が再興していた弘経寺(常総市)を菩提寺と定め千姫が死去すると霊廟が設けられ幕府の庇護により多くの堂宇が再建され大寺院と変貌を遂げました。

千姫の菩提寺は弘経寺の他、伝通院(東京都文京区小石川)、知恩院(京都府京都市東山区林下町)とあった為、近年まで弘経寺の廟には遺髪が納められていると推定されていましたが平成9年(1997)の保存修理の為、調査すると石櫃の中から火葬された遺骨の一部が納められていた事が判明しました。

弘経寺の文化財
・ 弘経寺山門-室町末期-切妻,本瓦葺,四脚門-常総市指定有形文化財
・ 弘経寺鐘楼-江戸中期-切妻,桟瓦葺,三間四方-常総市指定有形文化財
・ 弘経寺経藏-江戸中期-土造,宝形造,内部八角輪蔵-常総市指定有形文化財
・ 扁額(千姫直筆伝)-江戸時代初期-常総市指定有形文化財
・ 金銅阿弥陀如来立像-鎌倉末〜室町前-像高63.5cm-常総市指定有形文化財
・ 紺紙金泥阿弥陀経(4巻)-江戸時代-常総市指定有形文化財
・ 紫龍石の硯-直径32.5cm,厚さ4cm,重さ4kg-常総市指定有形文化財
・ 鉄切付盛上黒漆碁石頭縹糸素掛威二枚胴具足-常総市指定有形文化財
・ 千姫姿絵-江戸初期-絵画:縦31cm,横53cm-常総市指定有形文化財
・ 千姫の墓(天樹院廟)-遺骨の一部が埋葬された-常総市指定史跡
・ 弘経寺のスギ-樹高約33m,幹周7.53m-常総市指定天然記念物

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
公式ホームページ
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-常総市観光協会・常総市教育委員会
・ 現地案内板-常総市教育委員会

弘経寺:写真

弘経寺境内正面に設けられた石柱山門
境内正面に設けられた石柱山門
弘経寺参道石畳みから見た本堂と手水舎
参道石畳みから見た本堂と手水舎
弘経寺境内に設けられた歴史が感じられる経藏
境内に設けられた歴史が感じられる経藏
弘経寺経藏に隣接されて建てられてる開山堂
経藏に隣接されて建てられてる開山堂
弘経寺本堂脇に建立されている千姫御廟
本堂脇に建立されている千姫御廟


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