安楽寺(元三大師)概要: 正覚山安楽寺は茨城県常総市大輪町に境内を構えている天台宗の寺院です。安楽寺の創建は延長7年(929)菅原景行(菅原道真の3男※2男とも)が当地に移り住んだ際、父親である菅原道真を祭る大生郷天満宮を勧請し、その別当寺として開いたのが始まりと伝えられています。
因みに同じく菅原道真を祭る太宰府天満宮(福岡県太宰府市)の別当寺院も同名の安楽寺と称していました。当初は古寺家に境内を構えていましたが戦国時代になった天正年間(1573〜1591年)に北条氏と多賀谷氏との戦乱の兵火により堂宇が焼失、後に多賀谷氏によって現在地に移され堂宇を再建し山号を正覚山に改め定海法印を中興開山の祖としました。
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで多賀谷氏は主家である佐竹氏と同様東西中立を保った為、改易(佐竹氏に従い久保田藩檜山領主となった)となった為、庇護者を失い一時衰微しましたが、江戸時代に入ると境内が江戸城(東京都千代田区)からみると北東方向に当たる事から鬼門鎮護の寺院として幕府から庇護され慶安年間(1648〜1651年)に3代将軍徳川家光から寺領20石の朱印状を賜り、天海大僧正が元三大師を勧請、国家安寧の祈祷を捧げて祈願所としました。
以来、関東の天台宗の名刹として寺運が隆盛し最盛期には末寺、門徒寺、塔頭など合わせて60箇寺を擁していましたが、その後衰退し明治時代初頭には36箇寺、明治36年(1963)には28箇寺に減少しています。
近年まで壮麗な堂宇群が残されていましたが昭和30(1955)年の火災で本堂(桁行12間、梁間12間)、客殿、庫裏など多くの建物が焼失しました。現在ある堂宇の殆どはその後再建されたものですが広大な境内は往時の名残が感じられます。
安楽寺境内には東門(福録祈願)、南門(延命長寿祈願)、西子安門(子孫繁栄祈願)、中門(厄除け)の4つの門があり、祈願の内容によって選択出来る構成となっています。毎年1月3日のダルマ護摩には多くの信徒が参拝に訪れ開運福達磨を求めます。山号:正覚山。宗派:天台宗・和宗。本尊:三宝尊。
常総市:神社・仏閣・再生リスト
【 参考:サイト 】
・ 公式ホームページ
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-常総市観光協会・常総市教育委員会
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