八千代町: 佛性寺(栗山観音堂)

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概要・歴史・観光・見所
佛性寺(栗山観音堂)概要: 佛性寺は茨城県結城郡八千代町栗山に境内を構えている天台宗山門派の寺院です。の創建は奈良時代に開山されたと伝えられています。平安時代に入ると周辺は馬の飼育に適していた事から栗栖院常羽御厩が設置され毎年朝廷や伊勢神宮に貢馬が行われます。承平5年(935)に「平将門の乱」が起きると将門は軍馬の供給地として重要視し拠点になった事から、承平7年(937)に叔父である平良兼・良正が当地に侵攻しその兵火によって悉く焼失しました。その際、本尊である観音像は将門の家臣横島氏が岩井の長谷に移した為に無事でしたが、梵鐘は良兼軍の船で持ち運ばれ鎌田谷津の中程で梵鐘が急に暴れ出し沈没。その後、沈没した水上には度々鬼火が現れた事から梵鐘の祟りと噂されました。永禄9年(1566)、その話しを聞いた多賀谷重経は、観音堂を再建し梵鐘を供養すると不思議と鬼火は現れなくなったと伝えられています。宗派:天台宗山門派。本尊:薬師如来。

佛性寺観音堂は江戸時代中期に現在地に建てられたもので、入母屋、鉄板葺(元茅葺)、平入、桁行3間、梁間3間、正面一間向拝付き、内部は内陣と外陣に分かれていて、内陣には須弥檀が設けられ宮殿(入母屋、一間社、金箔、極彩色、17世紀)が設置、本尊である木心乾漆如来形坐像が安置されています。正面にある仁王門も観音堂と同年代の江戸時代中期に建てられたと推定される建物で入母屋、桟瓦葺(元茅葺)、三間一戸、八脚楼門、2層目には高欄を廻し1層目の両側には仁王像を安置しています。本尊である木心乾漆如来形坐像は平安時代初期に制作された像高59.4p、ケヤキ材、木心乾漆造、サビ下地漆箔の仏像です。木心乾漆造は主に近畿地方など中央の仏像に見られる工法で当像は東日本唯一の例とされ、制作年代も関東・東北地方で最も古い部類に属する為昭和57年(1982)に茨城県指定重要文化財に指定されています。

佛性寺の文化財
・ 観音堂(附:宮殿)-江戸中期-入母屋,鉄板葺,三間四方-八千代町指定文化財
・ 仁王門-江戸中期-入母屋,桟瓦葺,三間一戸,八脚楼門-八千代町指定文化財
・ 木心乾漆如来形坐像(附:乾漆断片64片)−平安初期-茨城県指定文化財
・ 木造地蔵菩薩立像-鎌倉末期-寄木造,像高37.8p,玉眼-八千代町指定文化財

佛性寺:写真

佛性寺境内正面に設けられた山門(楼門)
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佛性寺山門から見た境内 佛性寺土俵越に見た観音堂と石燈篭 佛性寺観音堂向拝と外壁 佛性寺本堂左斜め前方


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