今泉不動堂(下妻市)

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概要・歴史・観光・見所

今泉不動堂(多賀谷城・裏鬼門鎮護)概要: 今泉不動堂は茨城県下妻市今泉に境内を構えています。今泉不動堂の創建は中世下妻一帯を支配した多賀谷氏が多賀谷城の裏鬼門(南西)の鎮護の為建立したと伝えられています。

多賀谷氏は慶長5年(1600)の関が原の合戦で主家である佐竹氏と共に東西中立を保った為改易となり佐竹氏の移封先である久保田藩(現在の秋田県の大部分)に随行してます。庇護者を失い一時衰退しますが元和2年(1616)、松平定綱が下妻藩主になると庇護され不動堂が再建されます。

現在の今泉不動堂は享保年間(1716〜1735年)に再建されたもので、木造平屋建て、桁行3間(7.6m)、梁間3間(7.6m)、入母屋、銅板葺、建築面積57.76u、正面に一間の向拝が付いています。内部は正面1間分が外陣、残りの2間分が内陣で、内陣中央奥には須弥壇を設けて本尊である不動明王が安置され、内陣と外陣の間には格子戸により空間的にも分けられ宗教的な意味合いを強調しています。

細部には竜、獅子、像(獏)など精巧な彫刻が施されていて嶋村藤市(無関堂円鉄の弟子)が彫り込んだとされます。今泉不動堂は江戸時代中期の御堂建築の遺構で意匠にも優れた貴重なものとして平成8年(1996)に下妻市指定有形文化財に指定されています。

【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-下妻市教育員会

今泉不動堂:写真

今泉不動堂:境内石段から見上げた石柱山門
境内石段から見上げた石柱山門
今泉不動堂:参道から見た不動堂正面と石燈篭
参道から見た不動堂正面と石燈篭
今泉不動堂:左斜め前方から見た不動堂
左斜め前方から見た不動堂
今泉不動堂:向拝柱、木鼻、欄間部の彫刻
向拝柱、木鼻、欄間部の彫刻
今泉不動堂:境内に設けられた鐘楼の跡
境内に設けられた鐘楼の跡


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