稲吉宿(水戸街道)・宿場町・町並み

  茨城県:歴史・観光・見所(ホーム)>稲吉宿(水戸街道)
写  真 備  考
稲吉宿(水戸街道)
スポンサーサイト

【水戸街道】−水戸街道(水戸からは江戸街道)は徳川御三家(紀州藩56万石:和歌山城・尾張藩62万石:名古屋城・水戸藩35万石:水戸城)である水戸徳川家の居城、水戸城と江戸日本橋とを結ぶ街道です。経路は日光街道(奥州街道)の千住宿(東京都足立区・荒川区)で分岐して松戸宿(千葉県松戸市松戸・本町)や取手宿(茨城県取手市)、牛久宿(茨城県牛久市)、土浦宿(茨城県土浦市)、府中宿(茨城県府中市)などを経て水戸城下(茨城県水戸市)に至ります。水戸徳川家は定府大名として江戸城に勤務した為に参勤交代は行われませんでしたが、家臣の往来は多く幕府からも五街道に準ずる脇街道として格付けされ重要視されました。

【稲吉宿】−稲吉宿(茨城県かすみがうら市)は水戸街道の宿場町で江戸時代後期には本陣1軒、脇本陣1軒、問屋1軒、旅籠17軒の規模でした。参勤交代で利用する大名は陸奥国の太平洋側にあった中村藩(福島県相馬市)、磐城平藩(福島県いわき市)、泉藩(福島県いわき市)、湯長谷藩(福島県いわき市)など限定的で稲吉宿も大きくは発展しなかったようです。稲吉宿には文人墨客が度々利用し文化14年(1817)5月22日に小林一茶が江屋弥五エ門宅に宿泊し、明治22年(1889)4月4日には正岡子規が水戸へ行く途中に通過しています。水戸街道の中では比較的に良好な町並みで、特に稲吉宿本陣である坂本家住宅(江戸時代建築、表門、式台付玄関、上段の間、屋根には領主本堂氏の家紋「笹りんどう」を掲げる、かすみがうら市指定有形文化財)や旅籠皆川屋だった木村家住宅(江戸時代末期建築、木造2階建、寄棟、桟瓦葺、平入、桁行8間、水戸街道唯一の旅籠建築、茨城県指定文化財)などが残されています。又、鎮守と思われる香取神社(祭神:経津主命)の境内には貞亨5年(1688年)6月8日に松尾芭蕉が岐阜の油商賀島善右衛門の別邸で詠んだ「古の阿多利 眼爾見由類毛の 皆涼し 者せ越翁」の句碑が建立されています(明治7年:1874年に良可(角来村の関利三郎)が奉納)。

スポンサーサイト
稲吉宿(水戸街道)
稲吉宿(水戸街道)
稲吉宿(水戸街道)
 茨城県:伝統的・町並み・探訪|稲吉宿神郡桜川市真壁町
 ※ 相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。※プライバシーポリシー