神郡・陣屋町・町並み

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写  真 備  考
神郡(陣屋町)
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【筑波山神社】−筑波山は古代からの信仰の山で、古代人の自然崇拝や山岳信仰が源となり筑波山神社が発生したと思われます。時代を経ても常陸国の住民にとって筑波山神社は特別の存在であり続け、朝廷や為政者、歴代領主からも崇敬庇護され、歌枕の題材にもなりました。江戸時代に入ると江戸城から北東に位置する事から江戸城の鬼門鎮守として特別な存在となり幕府の費用により社殿が造営され多大な社領も寄進されました。江戸時代中期以降になると民衆にも行楽嗜好が高まり筑波山神社に参拝する人が激増、門前町だけでなく参拝道沿いの集落が宿場町のように位置付けられる例もありました。

【神郡陣屋】−正保2年(1645)旗本である井上正義が約1千石分の領地が与えられ領主となり、享保9年(1724)に神郡に拠点を移し、延享5年(1748)に本格的な陣屋を構えました。井上家は定府だった為、家臣が交代で代官として陣屋に赴任し、当地の名主である飯田家がそれを支える体制を取りました。

【町並み】−神郡は井上氏の陣屋が構えられた事で民家の集積が図られたと思われますが、一方で寛永年間(1624〜1644年)に整備された筑波山神社の参拝道でもあり、江戸時代中期以降、参拝者が急激に増加すると、本来農家だった家も半農半商として富を得る家も増えたと思われ、現在見られる参拝道沿いの古民家も一般的な農家建築ではなく、店蔵や土蔵、長屋門などで町並みが形成され農村とは異なる趣になっています。幕末の元治元年(1864)には水戸浪士が中心で結成された天狗党の一部が神郡集落に駐屯した歴史もあり興味深い土地柄でもあります。集落内に境内を構える普門寺は元享年間乗海大和尚によって開かれた古寺で中世は常陸国内で大きな影響力を持った小田氏の祈願所として庇護の対象となり最盛期は十万石の格式、5百以上の末寺、「常陸四ヶ寺」に数えられました。現在も江戸時代に再建された古建築物が健在で多くの寺宝(両界曼荼羅:つくば市指定文化財・小田家供養塔:茨城県指定文化財など)も所有しています。

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