下妻市: 大宝八幡神社

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大宝八幡神社
大宝八幡神社
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大宝八幡神社 大宝八幡神社 大宝八幡神社 大宝八幡神社
概要・観光・歴史・見所
大宝八幡神社(下妻市)概要: 大宝八幡神社は茨城県下妻市大宝に鎮座しています。大宝八幡神社の創建は大宝元年(701)、藤原時忠が東国平定の戦勝祈願と国土鎮護の為に宇佐八幡宮(大分県宇佐市)の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。現在知る限りでは関東地方で初めて八幡神が勧請されたのが当社とされ関東最古の八幡神社とも言われ社号の頭の「大宝」は創建した年号を現わしているそうです。記録的な初見は天台宗の経文の奥書で、それによると治承3年(1179)に常陸州下津間八幡宮書了兼智の記述がある事から少なくとも平安時代末期には大宝八幡神社が鎮座していた事が窺えます。時の支配者、歴代領主に崇敬され、天慶2年(939)には平将門が当社の巫女より新皇の位を授けられ、前九年合戦の折には源頼義が戦勝祈願し、念願成就すると康平5年(1062)に社領を寄進し、文治5年(1189)には源頼朝が奥州合戦の折、戦勝祈願し鶴岡八幡宮の分霊を勧請し摂社である若宮八幡宮を創建し太刀一振を奉納しています。宝治2年(1248)以降は神仏習合し、別当寺院となった賢了院が祭祀を司るようになり、大宝八幡神社の境内には賢了院、円蔵院、日輪院、円寿院、安楽院、放光院、龍松院、教学院が設けられ観音堂、虚空蔵、弥陀堂、護摩堂、鐘楼、護摩堂など仏教色の強い施設も数多く建立されました。大宝八幡神社は室町時代に入ると下妻城主多賀谷氏の崇敬社となり、社殿の造営や社領の寄進、宝刀の奉納などが行われ社運が隆盛します。多賀谷宣家(佐竹義重の4男)は慶長5年(1600)の関が原の合戦で東西中立を保った為改易となり主家である佐竹氏に随行し久保田(多賀谷氏は檜山領主に赴任しています。)に下向します。大宝八幡神社は庇護者を失い一時衰退しますが江戸時代に入り幕府から庇護され社領115石を安堵され、寛政7年(1795)には光格天皇より額字及び御紋付幕を賜っています。大宝八幡神社は古くから神仏習合していましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令とその後に吹き荒れた廃仏毀釈運動により境内から仏教色が強いものは一掃され県社に列しています。

現在の大宝八幡神社本殿は天正5年(1577)に多賀谷尊経が再建したもので三間社流造、銅板葺、派手な装飾や彫刻は見られませんが地方の桃山時代建築の遺構として大変貴重な事から明治39年(1906)に国指定重要文化財に指定されています。又、大宝八幡神社の境内一帯は平安時代から南北朝時代に存在した大宝城跡(応徳3年:1086年に下津間盛幹が築城、南北朝時代には常陸国司春日中将顕時公が若き興良親王を奉じて南朝方の拠点になるも落城し、その後廃城となった。)で国指定史跡に指定されています。祭神:誉田別命、足仲彦命、息長足姫命。

大宝八幡神社の文化財
 ・ 大宝城跡−平安〜南北朝時代−国指定史跡
 ・ 大宝八幡神社本殿−天正5年−三間社流造、銅板葺−国指定重要文化財
 ・ 銅鐘−嘉慶元年−青銅製、高さ108.1cm、口径60.3cm−茨城県指定重要文化財
 ・ 瑞花雙鳥八稜鏡−11世紀−白銅製、径11.2cm−茨城県指定重要文化財
 ・ 丸木舟−古墳時代後期−黒松材、長さ6.07m、幅55cm−茨城県指定重要文化財
 ・ 大宝八幡宮十二座神楽−下妻市指定無形民俗文化財

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