河童の碑(牛久市)概要: 河童の碑は昭和26年(1951)に小川芋銭(本名:小川茂吉・幼名:不動太郎)を偲んで小川家や関係者から建立されたもので、代表作である「河童図」と「誰識古人画龍心」の文字が刻み込まれています。小川芋銭は明治元年(1868)に江戸牛久藩邸で生まれ(父親は牛久藩の大目付:小川伝右衛門賢勝)ましたが明治4年(1871)の廃藩置県により父親が失職した為、牛久藩の本領があるこの地に移住し少年時代を過しました。
地元の小学校を卒業すると東京に移り明治14年(1881)からは本多錦吉郎に師事し彰技堂で絵画を学び、画才が認められた事で明治20年(1887)、朝野新聞に入社します。明治26年(1893)に牛久に戻り農業を営みながら郷土を題材に数多くの作品を発表、その後も「草汁漫画」の刊行や「珊瑚会」の結成、日本美術院の同人になるなど精力的に活動し茨城美術展の顧問や帝国美術院参与などの要職も歴任しています。昭和13年(1938)71歳で他界し得月院に埋葬されています。
又、河童の碑の周囲には推定樹齢400年、樹高15m、幹周4mのスダジイ(市民の木)や「改善一歩」と刻まれた道標が建立されています。この道標は大正11年(1922)に城中青年会が建てたもので当初、木製で計画されていましたが小川芋銭の進めもあり耐久性の高い石柱に変更し、その分は芋銭の寄付で賄われました。青年達は芋銭に感謝し道標に名前を刻もうとしたところ逆に「改善一歩」の字にするように指示されたと云われています。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-牛久市教育委員会
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