牛久藩

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牛久藩・歴史・観光・見所
牛久藩概要: 牛久領は古くから岡見氏が治めていましたが天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原征伐と共に秀吉に臣従した佐竹氏や多賀谷氏によって牛久城は落城します。岡見氏が牛久を去ると新たに牛久領の領主には源氏の名門新田義貞の子孫由良国繁が金山城(群馬県太田市)から入ります。由良氏は関ヶ原の合戦で徳川方に付くなど5千石から7千石へと領土を広げますが元和7年(1621)直系が途絶え養子を迎えた事で2千石の旗本となり牛久を去ります。慶長5年(1600)、山口氏が1万5千石(後1万石)で牛久城の一画に牛久陣屋を築き牛久藩を立藩、慶長18年(1613)、私婚禁止違反で牛久藩は一時廃藩となりますが後に許されて明治維新まで山口氏一族が藩主を世襲します。又、城下町は水戸城下と江戸を結ぶ水戸街道の牛久宿が設置され本陣をはじめ15軒の旅籠があり賑いました。
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牛久藩歴代藩主
 藩主名藩主年間石高備考
初代山口重政1600〜16131.5万石 
2代山口弘隆1635〜16771万石 
3代山口重貞1677〜16981万石 
4代山口弘豊1698〜17311万石 
5代山口弘長1731〜17681万石 
6代山口弘道1768〜17831万石 
7代山口弘務1783〜17871万石 
8代山口弘致1787〜18291万石 
9代山口弘封1829〜18391万石 
10代山口弘穀1839〜18491万石 
11代山口弘敞1849〜18621万石 
12代山口弘達1862〜18711万石 

牛久藩
牛久藩:城下町
[ 付近地図: 茨城県牛久市 ]・[ 関係リンク: 牛久市 ]
居城
牛久陣屋
牛久陣屋
古城
牛久城
牛久城
藩主縁
得月寺
得月寺
 
白
 


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