普門寺(つくば市)概要: 慈眼山三光院普門寺は茨城県つくば市神郡に境内を構えています。普門寺の創建は元亨年間(1321〜1323年)、小田治久が開基となり乗海大和尚を招いて開山したのが始まりと伝えられています。以来、小田家の祈願寺として庇護され、応安7年(1374)には当時の当主小田孝朝が、小田城の四方を守護として選定した小田領4ケ寺(普門寺、大聖寺、法泉寺、南円寺)にも選ばれ寺運も隆盛しました。当時の普門寺は寺領1万2百貫、僧兵5百を数え小田領四ヶ寺の中でも筆頭に位置づけられ最盛期には末寺を508ヵ寺を擁し10万石の格式を得ていましたが、戦国時代後期になると佐竹氏や北条氏の侵攻により小田氏は衰退し、さらに天正18年(1590)の小田原の役で北条氏側として行動した為に改易となり没落、普門寺は庇護者を失い衰微します。
普門寺は江戸時代に入ると幕府から庇護され寺領30石の朱印状を賜りますが往時には及ばず末寺も江戸中期には半減しています。ただし、田舎本寺としての立場は変わらず当地方の中心的な寺院として特別視され続けられています。元治元年(1864)の天狗党(水戸藩の尊皇攘夷藩)の乱では神郡村が駐屯地として利用され普門寺には田中愿蔵の陣営所が設けられています。明治時代初頭に発令された神仏分離令とその後に吹き荒れた廃仏毀釈運動により多くの末寺は廃寺に追い込まれ普門寺自体もさらに衰微が余儀なくなっています。
普門寺境内には寛政年間(1789〜1801年)に再建された本堂(寄棟、銅板葺、正面1間向拝※平成の火事により焼失)はじめ客殿(宝暦年間:建築、寄棟、桟瓦葺、桁行7間、梁間5間)、赤門(天明3年建築、切妻、桟瓦葺、四脚門)、黒門(建築年不詳、切妻、桟瓦葺、薬医門)などの堂宇があり当時の雰囲気を残しています。山号:慈眼山。院号:三光院。寺号:普門寺。宗派:真言宗豊山派。本尊:阿弥陀如来(伝:惠心僧都作※平成の火事により焼失)。
普門寺の文化財
・ 両界曼荼羅−江戸時代−つくば市指定文化財
・ 石造九重層塔(小田氏供養塔)-室町後期-花崗岩,総高253p-茨城県文化財
【 参考:サイト 】
・ 公式ホームページ
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(歴史)-慈眼山三光院普門寺
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