菊蓮寺(常陸太田市)概要: 舎利山三光院菊蓮寺は茨城県常陸太田市上宮河内町に境内を構えている浄土宗の寺院です。菊蓮寺の創建は大同2年(807)、西金砂山神社の別当寺定願寺住職行讃上人が霊夢を見てこの地に開山したのが始まりと伝えられています。
その際、蓮華の上に舎利があり菊の花が光り輝いた夢だった事から菊蓮寺と名付け、西金砂山神社を鎮守社としました。詳細は判りませんが、山門には佐竹家の家紋である「五本骨扇に月丸」が掲げられいる事から、中世は西金砂山神社と共に領主である佐竹家から庇護されていたと思われます。当初は天台宗の寺院でしたが寛正6年(1465)、覚誉上人が中興した際に浄土宗に改宗しています。
江戸時代に入ると、関ヶ原の戦いで曖昧な態度を採った佐竹氏は久保田藩(秋田県秋田市)に減封となり、代わって水戸藩主となった水戸徳川家は佐竹家縁の社寺に厳しい態度で臨みました。これにより西金砂山神社の別当寺院だった西金砂山定源寺は廃寺に追い込まれ、所有していた仏像の一部が菊蓮寺に遷されたとされます。山号:舎利山。院号:三光院。宗派:浄土宗。本尊:阿弥陀如来。
明暦3年(1657)に火災で堂宇や寺宝、記録など多くを焼失しましたが現在も菊蓮寺には数多くの文化財を所有し、中でも千手観音立像は鎌倉時代後期作、像高3.5m、檜材、寄木造、胎内には納入供養札が収められ、元の本尊と推定される千手観音焼損像(制作年:平安時代、像高:368cm、伝:源頼朝と佐竹氏の間で起こった金砂山の戦いで被害)と共に茨城県指定重要文化財に指定されています。
又、千手観音立像は大型像として茨城県内第2位の大きさを誇るそうです。その他にも平安時代後期に制作され、像高162cm、檜材、一木造、彫眼の木造不動明王立像と、藤原時代に制作され、像高168cm、檜材、一木造、彫眼の木造毘多聞天立像、藤原時代に制作され、像高115cm、檜材、一木造の木造女神像が茨城県指定文化財に指定されています。
菊蓮寺山門は切妻、本瓦葺き、一間一戸、薬医門。本堂は木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、桁行7間、正面1間軒唐破風向拝付き、外壁は真壁造白漆喰仕上げ、正面に「菊蓮寺」の寺号額が掲げられています。
菊蓮寺の文化財
・ 木造毘多聞天立像−藤原時代−茨城県指定重要文化財
・ 木造女神像−藤原時代−茨城県指定重要文化財
・ 木造千手観音立像・附伝胎内納入供養札・附伝千手観音焼損像-県重文
・ 木造不動明王立像−平安時代後期−茨城県指定重要文化財
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(由緒)-菊蓮寺護持会
・ 現地案内板-常陸太田市教育委員会
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