神應寺(水戸市)概要: 藤沢山神應寺は茨城県水戸市元山町に境内を構えている時宗遊行派の寺院です。神應寺の創建は天正19年(1591)、水戸城の城主佐竹義宣が三十二代遊行上人(他阿普光:佐竹氏の一門出身)を招いて開山したのが始まりとされます。
義宣は藤沢小路神生平に堂宇を建立、藤沢道場として慶長年間(1596〜1615年)に清浄光寺(時宗遊行派総本山:神奈川県藤沢市西富)が復興するまで時宗の中心道場として寺運も隆盛しました。慶長12年(1607)に清浄光寺が再興し寛永8年(1631)に江戸幕府幕府から時宗274寺の総本山と認められると、中心道場が再び清浄光寺に移り、それに伴い寛永10年(1633)に神應寺に寺号を改称しています。
延宝8年(1680)に水戸藩(藩庁:水戸城)の政策により現在地に神應寺の境内が移されています。当時は隣接する雷神社(別雷皇太神)と神仏習合し別当寺院として祭祀を担っていましたが明治時代に発令された神仏分離令により雷神社(別雷皇太神)とは分離し本地仏は神應寺が引き取っています。
神應寺の寺宝には「蹴上げ観音」と呼ばれる木造観音像があり、言い伝えによると雷を蹴り上げて信者を助けたとの故事から左足先を少し上げた御姿をしているそうです。像高13p、享和年間(1802〜1804年)に制作され雷関係に御利益があるとして信仰の対象になっています。山号:藤沢山。宗派:時宗遊行派。本尊:阿弥陀如来。
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