鷹見泉石旧宅(古河市)概要: 鷹見泉石旧宅は寛永10年(1633)に古河城の御三階櫓造営時の余材を使用して建てられた武家屋敷で、諏訪曲輪に隣接することから奥氏、潮田氏、鷹見氏など家老級の上級武士が配されました。敷地も当時は現在の4倍以上と広く、建坪も200坪を超え上級武家屋敷の一端を見ることが出来ます。
鷹見泉石は古河藩主土井利位が大坂城代だった折随行し「大塩平八郎の乱」が発生すると、自らが陣頭に立ち采配を振るい見事乱を鎮めた人物とされます。又、蘭学者としても有名で"雪華図説"や"新訳和蘭国全図"では大きな影響力を持ち、広く世界を見つめていた事で開国論を展開、幕府から半ば排斥される形で古河に蟄居しています。
鷹見泉石旧宅の建物年代は不詳ですが、泉石当時のもので、木造平屋建て、寄棟、茅葺、一見すると東北地方の日本海側の農家建築に見られる両中門造りのように主屋から両端が張り出しコの字のように見えます。向かって左端は式台付きの玄関で上がると床の間付きの座敷(10畳)があり、隣は次の間として同じく10畳の和室が配されています。
向かって右側が主な生活が営んだ場所で土間や台所、居間や寝室として使われたと思われる和室が配されています。現在鷹見泉石旧宅は「鷹見泉石記念館」として一般開放されています。
長屋門を簡単に説明した動画
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-古河市教育委員会
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