光了寺(古河市)概要: 光了寺の創建は平安時代の大同年間(806〜810年)、弘法大師空海が開山したのが始まりと伝えられています。当初は高柳寺と称し栗橋に境内を構え、文治5年(1189)には源義経を追って愛妾静御前が奥州平泉(岩手県平泉町)へ行く途中、この地で義経の訃報を聞ました。静御前は高柳寺(光了寺)で義経の菩提を弔い、同じ年に自らも亡くなったと言われています(静御前の亡くなったと伝わる土地は北は岩手県、南は福岡県まで各地に存在しています)。
建保年間(1213〜1219年)当時の住職興悦和尚が親鸞聖人の弟子となり天台宗から浄土真宗に改宗開山し寺名も光了寺に改めました。
光了寺の寺宝の1つである木造聖徳太子立像は鎌倉時代から南北朝時代ころに制作され(行基作伝)像高96p、檜材、寄木造、玉眼入、彩色の像で聖徳太子が7歳の時の容姿を模して彫り込んだ貴重な像とされ昭和63年(1988)茨城県指定重要文化財に指定されています。
光了寺には静御前が京都神泉苑で雨乞いの舞を舞った時に使用した「蛙蟆龍の舞衣」(伝:後鳥羽院から下賜、縦93cm、横59cm、昭和45年:1970年、古河市指定文化財に指定)を始め、御前の守本尊、義経から拝領した懐剣、鐙などが保管されています。又、境内のヒバは推定樹齢180年、樹高13m、幹周1.7mで古河市の名木古木に指定されています。宗派:浄土真宗大谷派。
|