歩崎観音

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概要・歴史・観光・見所

歩崎観音(長禅寺)概要: 歩崎観音(宝性院歩崎山長禅寺)は茨城県かすみがうら市坂に境内を構えている寺院です。歩崎観音の創建は奈良時代の天平年間(729〜749年)旅の僧がこの地を訪れ行基菩薩(奈良時代の高僧)が彫り込んだと伝わる十一面観音菩薩(茨城三観音:南円寺・歩崎・崎浜)を祀ったのが始まりとされます。

歩崎観音が境内を構える歩崎の地は霞ヶ浦が見渡せる景勝地で、平安時代後期の天治年中(1124〜1126年)には難破しそうになった船を観音様が水上を歩いて渡り助けたとの故事から特に霞ヶ浦での漁業や舟運関係者から信仰されました。寿永年間(1182〜1185年)には竜女(乙姫さま)が歩崎観音で安産祈願したところ無事赤ん坊が生まれ、金機を奉納し感謝の意を示したとされます。

歩崎観音の別当である長禅寺の創建は文明7年(1475)に開かれたのが始まりとされ江戸時代には土浦藩(藩庁:土浦城)から庇護され常夜塔などが寄進されましたが次第に衰退し昭和初期には無住の寺院となっていました。昭和26年(1951)頃から再興の気運が高まり長泉寺の建物を買収して再建しています。

長禅寺山門は寄棟、銅板葺、三間一戸、桁行3間、張間2間、八脚単層門、外壁は真壁造板張り木部朱塗り、両脇には天文3年(1534)、下総国香郡佐原出身の仏師、吉兵衛重時が彫り込んだ仁王像が安置されています。長禅寺本堂(歩崎観音堂)は寄棟、銅板葺、平入、桁行3間、梁間3間、正面1間向拝付、外壁は真壁造板張り木部朱塗り、向拝欄間には龍と波、木鼻には獅子と象、蟇股には植物などの彫刻が施され極彩色で彩られています。

又、歩崎は昭和8年(1933)に茨城県指定名勝、昭和25年(1950)に茨城百景、昭和34年(1959)に水郷筑波国定公園(1部)に指定されています。院号:宝性院。山号:歩崎山。寺号:長禅寺。宗派:真如苑。本尊:釈迦如来、十一面観世音菩薩。

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-かすみがうら市観光協会
・ 現地案内板(歩崎)-かすみがうら市教育委員会

歩崎観音:山門・観音堂・写真

歩崎観音(長禅寺)の朱色の山門
参道石段から見上げた朱色の山門(仁王門)
歩崎観音(長禅寺)山門から見た境内
山門から見た境内の様子
歩崎観音(長禅寺)のこじんまりとした本堂
こじんまりとした本堂の正面
歩崎観音(長禅寺)本堂向拝の精緻な彫刻
本堂向拝の精緻な彫刻
歩崎観音(長禅寺)高台に建立されている石燈篭
高台に建立されている石燈篭(灯台)
歩崎観音(長禅寺)長く切ない参道の石段
長く切ない参道の石段
歩崎観音(長禅寺)社叢越に見える朱色の本堂
社叢越に見える朱色の本堂
歩崎観音(長禅寺)本堂の木鼻と蟇股と木組
本堂の木鼻と蟇股と木組
歩崎観音(長禅寺)鐘楼と吊り下げられた梵鐘
鐘楼と吊り下げられた梵鐘


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