大石家屋敷跡(笠間市)概要: 当地は笠間城の麓に位置し、主に家臣達の屋敷が構えられた地域です。、元禄赤穂事件や吉良邸討ち入りなどで知られる大石内蔵助を排出した大石家が笠間藩時代に屋敷を構えた場所でもあります。案内板によると「 ここは、浅野氏赤穂藩の国家老で「忠臣蔵」の物語で名の知れた大石蔵助良雄の曽祖父良勝及び祖父良欽が住んでいた屋敷跡である。浅野氏は、元和8年(1622)に笠間5万3千5百石の藩主になったが、その頃の笠間城は佐白山頂近くの本丸で政務を執っていた。浅野氏はよりよい政治をするため、城下町に近い台地(今の山麓公園)に笠間城の下屋敷として御殿を建て、また笠間城下町を整え現在の笠間市街地の基を作った。笠間藩主麻の長直の家老である大石氏は、御殿の直ぐ下にあるこの地に屋敷を与えられていた。長直は、正保2年(1645)に赤穂へ国替えとなったが、その後の代々の笠間藩主もこの地を家老屋敷として与えていた。 笠間市 」とあります。現在は建物等の遺構は無く敷地内の樹木も当時の庭園のものか分かりません。
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