笠間市: 高乾院

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概要・歴史・観光・見所
高乾院(笠間市)概要: 高乾院は茨城県笠間市石井に境内を構えている臨済宗妙心寺派の寺院です。高乾院の創建は鎌倉時代の弘安年間(1278〜1287年)、円覚寺(神奈川県鎌倉市)高乾院2世仏源禅師大休正念和尚(中国出身の僧)によって開山したのが始まりと伝えられています。慶長7年(1602)秋田(秋田市土崎)から入封し宍戸藩5万石の藩主となった秋田実季は旧領の菩提寺だった湊福寺(現在は蒼龍寺に改称)から住職、本尊を移し桁行7間、梁間7間の本堂を始め山門や塔、堂などを造営し秋田家歴代の菩提寺として整備しました。因みに岱雲崇山湊福寺は安東(実季の代から秋田城之介に改称)鹿季が開基となり戒名である「湊福寺岱雲祟公」から号した秋田家の菩提寺でした。

山号の「安日山高乾院」は秋田家の祖である安日彦(存在は疑問視されていますが、神武天皇の東征の際、饒速日命に従い最後まで抵抗した長髄彦の兄とされ、津軽に流された又は逃避した後は蝦夷の棟梁となった安倍氏の祖になったとされます。秋田氏は安倍氏の後裔である安東氏の一族。)と実季の戒名「高乾院殿隆巌梁空大居士」に因んだものです。正保2年(1645)2代藩主秋田俊季が三春藩(福島県三春町)に移封になると当時の住職である北原和尚は俊季に随行し三春で新たに高乾院を開山、当寺は宍戸に留まり明治維新まで続きます。

しかし、次第に衰退し無住状態になると寺宝も散逸し檀家も離れていきました。昭和7年(1932)に天嶺玄誠和尚の手によって現在地に移され再興、昭和61年(1985)に本堂が造営されました。寺宝である「金剛般若波羅密経」は弘安4年(1281)、北条宗政(武蔵守、当時の鎌倉幕府執権北条時宗の弟)の健康長寿を祈願して仏源禅師大休正念和尚が写経したもので経巻折本(36折、72枚)縦29.1cm、横12.3cm、平成5年(1993)に茨城県指定文化財に指定されています。又、境内には天狗党伊藤益荒、伊藤斉宮の墓が建立されています。宗派:臨済宗妙心寺派。本尊:釈迦如来。

高乾院:写真

高乾院
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