正福寺(佐白観音)概要: 佐白山正福寺は茨城県笠間市笠間に境内を構えている普門宗(真言宗系単立)の寺院です。正福寺の創建は白雉3年(652)、粒浦氏(狩人)が白馬・白鹿・白雉が護る霊木を仏師に本尊である千手観音像を彫り込ませ安置したのが始まりと伝えられています。当初は佐白山山頂付近にあり孝徳天皇の勅願所になると寺運が隆盛し最盛期には僧坊100余りを有する関東でも有数の大寺となりました。
鎌倉時代に入ると隣接する布引山の徳蔵寺と対立、建保2年(1214)仲裁に入った領主宇都宮氏家臣塩谷時朝により両寺とも焼き討ちし佐白山に笠間城を築くと笠間家の祖となりました。時朝は元々仏教に対して理解が深かった事から忠円阿閣梨を招いて観音堂を再建し、正福寺に寺号を改称、以降、笠間家の祈願所として庇護され寺運も隆盛し、永禄8年(1565)には笠間高広が三重塔の一層目(二層目は広直)を寄進しています。
天正18年(1590)主家である宇都宮氏の意に背き豊臣秀吉による小田原の陣に参加しなかった事から笠間氏は取り潰しとなり、庇護者を失い衰退します。江戸時代に入ると勝福寺(貞享3年以降は正福寺)として再び再興され、元禄年間(1688〜1704年)に宥明によって境内が整備されました。明治時代初頭に発令された神仏分離令とその後に吹き荒れた廃仏毀釈運動により多くの堂宇が破却焼失し多くの寺宝が散逸、寺号も観世音寺に改称しています(平成24年:2012年に寺号を正福寺に改称)。
昭和5年(1930)に現在地に仮堂が建立され現在でも木造千手観音像、金銅仏十一面千手観音像、木造毘沙門天立像、木造不動明王立像などを所有しています。坂東三十三観音霊場第二十三番札所(御詠歌:夢の世に ねむりもさむる 佐白山 たえなる法や ひびく松風)。関東百八地蔵尊霊場第59番札所。山号:佐白山。宗派:普門宗(真言宗系単立)。本尊:千手千眼十一面観世音菩薩。
観世音寺(佐白観音)の文化財
・ 木造佐白観音坐像-鎌倉中期-寄木造、玉眼、像高58cm-茨城県指定文化財
・ 金銅仏十一面千手観音立像-平安末期-金銅製、像高7.7cm-笠間市指定文化財
・ 木造毘沙門天像-嘉吉4年-像高110cm、台座高20cm、漆塗-笠間市指定文化財
・ 木造不動明王立像-嘉吉4年-像高102cm、台座高19cm、漆塗-笠間市文化財
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