結城街道: 水戸〜笠間〜下館〜小山

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概要:歴史・観光・見所
結城街道概要: 結城街道は水戸城下(茨城県水戸市)と奥州街道(日光街道)の小山宿(栃木県小山市)を結ぶ街道で、街道沿いには笠間藩の藩庁が置かれた笠間城、下館藩の藩庁が置かれた下館城、結城藩の藩庁が置かれた結城城の城下町を結んだ事から、参勤交代でも利用され重要視されました。人や物資の往来も多く、各宿場町や城下町も繁栄しました。

【笠間宿】−笠間宿は、結城街道の宿場町である共に、中世以降、笠間氏の居城となった笠間城の城下町として発展した町です。江戸時代に入ると松平康重が3万石で入封し笠間藩を立藩、城下町には家臣を住まう武家地の他、結城街道を引き込む事で流通の拠点として経済的にも発展させました。又、城下町に鎮座した笠間稲荷神社も歴代藩主が崇敬庇護した事で社運が隆盛し、日本三大稲荷に数えられる程に信仰が広がり多くの参拝者を迎え入れました。

【下館宿】−下館宿は文明10年(1478)に水谷勝氏によって下館城が築かれ、その城下町として発展した町です。戦国時代には無敗の武将として一目置かれた水谷正村(蟠龍斎)により主家である結城家から独立を図り、跡を継いだ水谷勝俊により下館藩が立藩されます。下館は結城街道の宿場町である共に、下館藩の藩都として発展、水谷家が移封になると比較的短期間で藩主が交代し享保17年(1732)に石川総茂が2万石で入封すると以後は明治維新まで石川家が下館藩主を歴任します。又、下館宿は五行川舟運の拠点で真岡木綿の集散地でも知られ、ここを拠点に全国に木綿を運ばれた事から数多くの豪商を輩出し、明治時代以降交通網が発展するとさらに販路を広げ「下館商人」との異名がありました。現在でも豪商の店蔵などが点在し往時の繁栄が窺えます。

【結城宿】−結城宿は、鎌倉時代初頭に結城朝光が当地に配され、結城城を築いて以来城下町として発展しました。戦国時代末期には徳川家康の次男秀康を養子として迎えた事で事実上名門結城家の直系は断絶し、秀康が福井藩(福井県福井市)に移封後に松平姓に復した事で名跡も失われています。元禄13年(1700)に水野勝長が入封すると改めて結城藩を立藩し、再び城下町として整備されます。結城の地は結城街道と日光東往還が交差する交通の要衝で、特産物である結城紬の集積場として経済的でも発展しました。又、多くの醸造業者も軒を連ね、現在も数多くの土蔵や店蔵が点在しています。

【小山宿】−小山宿は中世、小山氏の居城である小山城の城下町として発展した町で、江戸時代に入ると、奥州街道(日光街道)の宿場町として整備されました。小山宿からは結城街道と日光西街道(壬生通り)が分岐した為、交通の要衝として重要視され、江戸時代初期までは徳川将軍家が日光東照宮に参拝の際、宿泊や休息で利用した小山御殿が設けられていました。

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