大生郷天満宮(常総市)概要: 大生郷天満宮は茨城県常総市大生郷町に鎮座している神社です。大生郷天満宮に伝わる伝承によると平安時代の延喜3年(903)、大宰府で死去した菅原道真の遺言は諸国を遺骨を所持して巡錫し動けなくなった場所に埋葬すべしと告げたそうです。
延長4年(926)、飛騨国に配流されていた道真の3男菅原景行がその罪を解かれ常陸国の国府次官として赴任する際、遺言に従い遺骨を持ち込むと筑波山麓の羽鳥で動けなくなった為、霊地と悟り墳墓を築いて埋葬しました。
延長7年(929)、羽鳥の地が敵対した平国香の領地だった為、景行は平将門の協力を得て家臣と共に大生郷に移ると遺骨も現在地に移し大生郷天満宮を創建しました。道真の遺骨が境内に埋葬された神社としては太宰府天満宮と当社しかない事から太宰府天満宮(福岡県太宰府市)、北野天満宮(京都府京都市上京区)と共に日本三天神の一社に数えられ広く信仰を広めました。
大生郷天満宮は中世に入ると長く領主として支配した多賀谷氏の崇敬社として篤く庇護し天正4年(1576)に兵火で社殿が焼失した後には再建に援助し三十六歌仙絵を寄進するなどしました。江戸時代に入ると大生郷天満宮は民衆から信仰され多くの参拝者が訪れると門前も発展し社運も隆盛しました。
大生郷天満宮は古くから神仏習合して大生寺(創建当初は安楽寺)が別当寺院として祭祀を担っていましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により廃寺となり村社に列しています。
大正8年(1919)に火災により社殿は焼失しましたが現在でも「御廟天神画像」、「神酒天神画像」、「北野天神縁起絵巻」、「三十六歌仙絵」など多くの社宝を所有しており文化財指定されているものも多数あります。大生郷天満宮の拝殿は昭和30年(1955)に造営されたもので、木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、正面千鳥破風、正面1間向拝付き、外壁は真壁造板張り。大生郷天満宮本殿は昭和4年(1929)に造営されたもので三間社流造、銅板葺き、外壁は真壁造板張り。祭神:菅原道真公。
大生郷天満宮の文化財
・ 御廟天神画像-室町-縦43.3cm、横35.5cm-茨城県指定文化財
・ 神酒天神画像-室町〜安土桃山-縦63.5cm、横40.3cm-茨城県指定重要文化財
・ 北野天神縁起絵巻(2巻)-応永年間-縦32.1cm-茨城県指定重要文化財
・ 三十六歌仙絵(36幅)-狩野松栄筆、多賀谷氏寄進-茨城県指定重要文化財
・ 十一面観音像(絵幅)-南北朝−縦108cm、横42cm-常総市指定有形文化財
【 参考:サイト 】
・ 公式ホームページ
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-常総市観光協会・常総市教育委員会
・ 現地案内板(天満宮と牛)-大生郷天満宮
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