逢善寺

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概要・歴史・観光・見所

逢善寺(稲敷市)概要: 慈雲山無量寿院逢善寺は茨城県稲敷市小野に境内を構えている天台宗の寺院です。逢善寺の創建は天長3年(826)逢善道人(天台宗開祖最澄の法弟)が本尊である千手観音を安置し開いたのが始まりと伝えられています。

当初は小堂だったようですが霊験に感服した常陸国司小野篁(平安時代前期の公卿、文人。小野小町の祖父又は父親とも?)が覚叡上人を招き常陸国河内郡小野村(現在の茨城県稲敷市小野)に堂宇を造営し、寺領八百町歩が寄進しました。

淳和天皇第3皇女貞子内親王が幼少時に眼病を患った際に病気快癒の祈願をすると見事念願成就し眼病が平癒した事から淳和天皇と貞子内親王は篤く帰依し、落飾した後には逢善寺境内に宮庵を設けて女人救済寺にもなっています(姫は当地で没し墳墓と伝わる小祠があります)。

逢善寺は歴代領主にも帰依され、天文8年(1539)に堂宇が焼失すると当時の江戸崎城主土岐治英が再建しています。江戸時代に入ると幕府から庇護され、徳川家康からは300石の寺領が安堵され十万石の格式を与えられ、正徳3年(1713)には天台宗門関東八檀林(中院、大光普照寺、龍蔵寺、月山寺、薬王院不動院、逢善寺、長福寿寺)の1つに定められました。

寺運も隆盛し最盛期には境内には36坊、全国には300余寺の末寺を擁していましたが明治維新と太平洋戦争により衰微しました。山号:慈雲山。院号:無量寿院。宗派:天台宗。本尊:千手観音。別称「小野の観音様」。

逢善寺・境内: 現在の逢善寺本堂は江戸時代後期の文政7年(1825)の火災で焼失後の天保13年(1842)に再建されたもの木造平屋建て、入母屋、正面に千鳥破風、銅板葺き、桁行5間、梁間5間、正面3間軒唐破風向拝付、向拝木鼻には象と獅子、蟇股には龍、懸魚には鳳凰の精緻な彫刻が施されています。庫裏と書院は文久2年(1862)に再建されL字型で一体となっているもので、木造平屋建て、寄棟、茅葺で書院の玄関屋根が唐破風を採用し格式の高さを感じます。

逢善寺山門は室町時代の文明年間(1469〜1486年)に太田道潅(江戸城主)が日枝神社(東京都千代田区)の山門として建立されたものと伝えられている建物で、切妻、銅瓦棒葺、三間一戸、桁行3間、張間2間、八脚単層門、木部朱塗り、明治初頭に発令された神仏分離令により日枝神社の仏教色が境内から取り除かれる事となり、それに伴い運慶作と伝わる金剛力士像(制作年・応永9年:1402年)と共に明治2年(1869)逢善寺に移築されました(因みに天正6:1578年に建てられた逢善寺の山門は行方市羽生に境内を構えている萬福寺に遷されています)。逢善寺の本堂、庫裏、書院、山門は貴重な事から茨城県指定有形文化財に指定されています。

逢善寺・霊場・その他: 茨城景観百選87番。ぼけ封じ関東三十三観音霊場第33番札所。常陸西国三十三観音霊場第16番札所(御詠歌:とく法は おのが心の 逢善寺 自他なく結ぶ 後の世のとも・札所本尊:千手観音菩薩)。常陸七福神(辨財天)。

逢善寺の文化財
・ 仁王門-文明年間-切妻、銅瓦棒葺、三間一戸、八脚単層門-茨木県指定文化財
・ 本堂-天保13年-入母屋、銅板葺、五間四方、三間向拝-茨木県指定文化財
・ 書院・庫裡−文久2年−寄棟、茅葺、玄関唐破風−茨木県指定文化財
・ 木造金剛力士立像−応永9年−阿形・吽形−茨木県指定文化財
・ 五鈷鈴−藤原時代(平安時代中期〜後期)−茨木県指定文化財
・ 五鈷杵−鎌倉時代初期−青銅メッキ−茨木県指定文化財
・ 妙法蓮華経(10巻)−長享2年−澄範による寄進−茨木県指定文化財
・ 手洗水舎−江戸時代−稲敷市指定文化財
・ 庫裏引戸絵−江戸時代−稲敷市指定文化財
・ 庫裏杉戸絵−江戸時代−稲敷市指定文化財
・ 本堂天井絵(飛天の図)−江戸時代−松本楓湖作−稲敷市指定文化財

八脚門を簡単に説明した動画

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(由緒)-慈雲山逢善寺

逢善寺:本堂・仁王門・写真

逢善寺正面にある日枝神社から移された山門
境内正面にある日枝神社から移された山門(仁王門)
逢善寺山門の仁王像とそこから見える本堂
山門の仁王像とそこから見える本堂
逢善寺参道から見る本堂
参道から見る本堂の正面
逢善寺本堂と石灯篭
本堂正面とその前に置かれた石灯篭
逢善寺本堂の右斜め前方眺め
本堂の右斜め前方からの眺めと向拝
逢善寺庫裏書院の正面
庫裏書院の正面
逢善寺庫裏書院の重厚な茅葺屋根
庫裏書院の重厚な茅葺屋根
逢善寺の重厚な茅葺の唐破風屋根
重厚な茅葺の唐破風屋根
逢善寺の鐘楼
境内に時を告げる鐘楼


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